古から伝わる先人たちの知恵「沖縄風水」を知る旅

沖縄の風水を知る旅

風水を重んじた琉球王朝時代の集落や建物が今も残る久米島探訪

沖縄風水とは

そもそも風水とは、古代中国の思想で地形や方位から大地をめぐる気の流れを読み、その気が集まってくる場所に大切な王都や墓・住まいなどを作ることによって、健やかで豊かな生活を得ようとする考え方をいいます。専門用語で表現すると、その気の流れは龍脈(りゅうみゃく)、気が集まる場所を龍穴(りゅうけつ)といいます。

久米島地図

沖縄風水の歴史
そんな風水を取り入れるようになったきっかけは、諸説あります。14世紀後半察度王の時代に福建省から那覇にやってきて久米村(現在の那覇市・久米)をつくった姓とその子孫により伝えられたとか、冊封使をはじめとする中国人によってもたらされたという説等々。どうやら徐々に浸透していった様子ですが、1667年から1668年においては、琉球王府が久米村の子孫を中国に派遣して風水を勉強させ、国づくりに役立ていました。久米村は沖縄本島で風水に基づいて街づくりされた代表格で、14世紀頃には日常的に取り入れていました。本島以外に広がっていったのは、琉球王府が国づくりに風水を用い始めた17世紀後半と考えられています。久米島や八重山などに風水師が派遣され、墓地などの風水を見たとされました。そして、歴史上の人物、久米村出身の蔡温は、学んだ風水を国政に生かしました。彼が調べた首里城はこの上なく風水に優れており、遷都しなかったのは蔡温の調査結果によるものです。そのうち、農林事業も風水を取り入れ、自然環境も保護するようになったと言われています。
琉球王国は中国からの風水を自身の地になぞらえながらさまざまなことに生かし、国を築上げていったのでした。

久米島にみる沖縄風水。上江洲家に行ってみよう!

代々、間切(現在の市町村)の地頭代(行政の現地最高責任者)を勤めてきた家柄の上江洲家。そんな上江洲家の風水は完璧といっても過言ではないくらい、立地、そして、建物のあらゆるところに風水が生かされています。立地を見てみると、琉球王朝時代の風水師がきちんと地形の気を読み取り、上江洲家を建てていたことがわかります。それというのも、龍の姿になぞらえるその流れ(龍脈)を見たとき、久米島の最も高い山・宇江城岳から発し、下る龍が再び頭をもたげる場所である小山にエネルギーは集まるのですが、そのエネルギーをうまく取り入れる立地が上江洲家の場所なのです。地元の人に尋ねると確証が取れるが、この場所を挟んで左右にかつては川が流れていたといいます。これはせっかくの気を外に漏らさないようにするという意味があります。


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沖縄風水の歴史
大まかでありますが、肝心なポイントを紹介すると、北東は山(だるま山)、南は海、東西はフクギ林で守られています。特に東はその道の外側の水の流れに伴って曲がりながら南側を大きく円を描くようにとられています。こういった地形は「背山特水」といって「四神(当座南北4つの神のこと)相応」として理想的なのです。上江洲家の「家記」(上江洲家に伝わる記録)をみてみると、東屋敷の北西方、前の屋南西方の自然大石、約200mごとの松、南の隣接地を取り込んだ道の4隅にかかっていた石橋といった配置にも意味があり、当時の風水学が活用されていたといいます。

現在、上江洲家では、上江洲家の管理人である上江州艶子おばぁが来客の対応をしているのですが、現地に行ったら艶子おばぁの言葉にも耳を傾けましょう。堅苦しい説明はできないと苦笑いするが、上江洲家に伝わる大切な風水の話が聞けるかもしれません。例えば、一番座の畳は9畳ですが、どうして10疊じゃないのでしょうか。一般的な日本の家屋の畳間は4.5畳を除いて6畳、8畳・・・と偶数が基本。艶子おばぁによると「なんでもひとつ足りないと人は努力するのよ。それもこの家は教えてくれるの」。未完成にしておくことによって、運気を引き込むのです。これも風水に由来するといいます。

風水的エネルギースポット

まだまだたくさん!久米島のエネルギースポット巡りに出掛けよう!

五枝の松

国の天然記念物として指定されている貴重な琉球松の大木。高さ約5~6mの樹根から枝が5本に分かれ、地面を覆うように横に約12m伸び、その広さはなんと約250㎡。現在の松は上江州家の記録によると、1839年(天保10)に植えられた2代目とされています。県内では、伊平屋島の念頭平松と共に、沖縄二大名松とも言われています。その幹の太さ、うねり具合、そして、巨大ながらすみずみまで葉をつけている姿は強い生命力を感じます。

琉球松の大木

君南風殿内

久米島の最高司祭者である神女・君南風(ちんぺー)の祭礼殿。15世紀末の八重山の豪族・オヤケアカハチを討伐するときに首里軍に従軍し、君南風の計略によって勝利を導いたとされました。1667年に神職三十三君(琉球王国によって制定された最高神女組織)は廃止されましたが、伊平屋の「あむがなし」と今帰仁の「煽りやえ」、そして久米島の「君南風」の三君だけは残されました。今でも島で雨乞いの儀式などはここで行われます。

君南風殿内

宇江城城跡

国指定の史跡で、県内で最も高い宇江城岳(310m)の山頂に作られた山城(やまじろ)形式の城(グスク)。城は3つの郭で構成され、城壁は安山岩。一番上の郭の東側の石垣は城内でも一番高かったことから物見用だったといわれています。戦後は米軍の基地に利用されましたが、平成13年に一部が返還。以後、場内への出入りが自由になりました。これまでの発掘調査により、中国製陶磁器がたくさん発掘いることから、中国と貿易の盛んだった当事の様子を伺い知ることができます。

宇江城城跡

ミーフガー

岩壁に穴があいていることから女岩とも呼ばれており、女性が拝むと子宮に恵まれるというご利益のある場所。しかし、ご利益はさることながら、実は穴はあいているのではなく、違う時代にできた岩が海底から持ち上がってきた過程で潮や風に柔らかい部分が削られ、硬い部分だけが残って穴ができたというのが地学的に正確な見方です。ちなみに、向かって穴の右側の岩が石灰岩、左が凝灰角礫岩で400万年以上前のものと推測されます。

ミーフガー

監修 和来 龍(わらいりゅう)

風水調査鑑定士。久米島には幾度となく足を運び、調査を重ねている。


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