北大東島の歴史ロマンに触れる「燐鉱山遺跡トレッキング」

沖縄県の最東端に浮かぶ、人口約600人の小さな島・北大東島。
今から約120年前、移り住んだ開拓者によって燐鉱山が採掘され、無人島から大きな発展を遂げた唯一無二の島です。

今回は、島に刻まれた産業と開拓の歴史に触れるため、ガイドツアーでのみ立ち入ることができる貴重な遺構「燐鉱石採掘場跡」を巡るトレッキングに参加してきました。

「北大東島」開拓の歴史

沖縄本島から東へ約360kmに位置する北大東島は、沖縄でいちばん早く朝日が昇る場所として知られています。
約5,500万年前にサンゴ礁が隆起と沈降を繰り返して生まれた島で、今もなお、年間数センチずつ西へ移動し続けているという、国内でも希少な地質を持ちます。

断崖絶壁に囲まれた地形ゆえ、「絶海の孤島」として長らく無人島だった北大東島。

1903年に八丈島出身の玉置半右衛門たまおき はんえもん氏率いる「玉置商会」によって本格的な開拓が始まり、燐鉱石採掘の島として大きく発展しました。

当時の採掘はすべて手作業で行われ、多くの働き手が島に移り住み、最盛期には2,700人もの人々が暮らしていたと言われています。写真の「燐鉱石貯蔵庫跡」は、かつての繁栄を今に伝える燐鉱山の遺跡として、2017年に国の文化財に指定されました。

画像提供:北大東村教育委員会

採掘された燐鉱石は青森県八戸をはじめとする本土の工場へと運ばれ、加工したのち、リン成分が農業用肥料として利用され、国内の米や麦などの食糧増産に大きな役割を果たしました。

しかし戦後、米軍管理下で機械化が進むとともに鉱石の質が低下し、次第に買い手がつかなくなった結果、鉱山は1950年に閉山。現在はサトウキビ栽培が主な産業となり、島の風景や暮らしは当時と大きく姿を変えています。

燐鉱石採掘場跡を巡るトレッキングへ

今回の案内役は、島のガイド・葉棚 清朗(はだな せいろう)さん。北大東島の歴史や文化を精力的に発信していて、初めて訪れる人にもわかりやすく丁寧に解説してくれます。

最初にガイダンスを受けた「うふあがり人と自然のミュージアム」は島の自然と開拓の歴史が学べる資料館。地形・生きもの・産業・暮らしまで、北大東島の今と昔を一度に辿ることができます。

ツアーでは倒木が多いエリアや狭いトンネルなど、険しい森の中を進むため、きちんとした準備が必要です。動きやすい服装とスニーカーの着用は必須。ヘルメットを装着し、懐中電灯を持ったらいよいよ出発します。

「燐鉱石採掘場跡」は国の史跡のため、許可なく立ち入ることはできず、ガイド同伴のツアー参加者のみが見学することができます。
当時の面影が色濃く残る、燐鉱山遺跡を見ることができる国内で唯一の場所です。

一歩足を踏み入れると、そこはまるでジャングルのよう。
辺り一帯に木が生い茂り、約75年の歳月を経て独特の景観をつくり出しています。

採掘場周辺は、ガジュマルやシダ植物のオオタニワタリが密生する群落が形成されており、力強い生命力に満ちた光景が広がります。自然の迫力を間近に感じることができる場所です。

当時は、採掘場から港へ燐鉱石を運ぶ際にはトロッコが使われており、港までレールが敷かれていたそうです。いま歩いているこの道も、かつてはトロッコが通っていた跡なのだとか。

さらに進むと、わずかに残るレール跡を発見。ほかにも、鉱夫たちが飲み水用に使っていた水甕みずがめなどもそのままの状態で置かれていました。
森と化したこの場所で、多くの人々が働いていた当時の痕跡も見ることができます。

足元に注意しながら木々をかき分けて進むトレッキングは、想像していた以上にハード。
こうした険しい場所を切り拓き、何もなかったところから産業を興していったのだと思うと、先人たちの粘り強い開拓者精神を感じました。

トロッコ軌道の脇には日本軍の司令壕跡も残されています。太平洋戦争期には、島の防衛を強化するため、日本軍守備隊が駐留し、軍事拠点として壕を使用していました。

壕を後にし、燐鉱石や物資の積み下ろしを行っていたと思われる広場に出ました。
葉棚さんが「これが燐鉱石ですよ」と手に取って見せてくれたものは、見た目に反して軽く、思わず「えっ」と声を出して驚いてしまいました。今でも森の中を歩いていると、こうした燐鉱石を見つけることができるのだそう。

トレッキングも終盤に差し掛かるころ、トロッコのトンネル跡を発見しました。
少しかがみながら、頭上と足元に注意してくぐり抜け、深い森の世界ともお別れです。

島に根付く“フロンティアスピリット”

傭員倶楽部
北大東島出張所

ひと息ついたら、葉棚さんの車で移動します。
次に訪れたのは、燐鉱石の採掘・運搬に関わった「東洋製糖株式会社」の旧施設。
どちらも島の石灰岩を用いた精緻せいちな石積みと、時代を映す和洋折衷のデザインが特徴的です。

傭員よういん倶楽部は当時、農民の雇用創出を目的とした施設として利用されていました。
北大東島出張所は事務所として使用され、国指定の登録有形文化財に保存されている貴重な遺構です。現在は「りんこう交流館」として、居酒屋や展示施設として使用されており、島民の交流の場にもなっています。

燐鉱産業の発展から閉山、そして現代にいたるまで、島の発展は止まることなく進化し続けてきました。現在は、サトウキビ産業に加えて、アワビやヒラメの養殖など新たな取り組みが進んでいます。

「断崖絶壁の未踏の地を切り拓いた先人たちの、決して諦めない想い”フロンティアスピリット(開拓者精神)”は、島民の心に深く根付いているんですよ。」と葉棚さん。
その想いは世代を超えて受け継がれ、島の発展を支える礎となっています。

自分の足で歩いて、その島の歴史に触れる。
北大東島ならではのトレッキング体験を通して、新たな島の魅力に出会うことができました。

Information 基本情報

一般社団法人 北大東島振興機構

住所 沖縄県北大東村字中野152-1
TEL 098-023-4350
備考
URL https://www.kitadaito.jp/index.html
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