北大東島(きただいとうじま)は、沖縄本島から東へ約360km、沖縄県内で最も早く朝日が昇る島。船が接岸できる港がないため、荷物や人の上陸はクレーン車によって行われる。手付かずの自然が数多く残る島だ。

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絶海の孤島の歴史を知る

歴史を語る文化遺産

明治36年に開拓が始まって以来、北大東島の主な産業は燐鉱石(りんこうせき)の採掘だった。
最盛期には年間約2万2千トンもの燐鉱石を産出し、出稼ぎ労働者などを含めて島の人口も2,700人にまで膨らんでいたという一大産業だった。
その後昭和25年に燐鉱石事業は終了して当時の栄華は失われたが、建物の一部は現在に至るまでそのまま残されている。それが燐鉱石貯蔵庫跡だ。

訪れてみて驚いた。
半分崩れた石積みの壁や、原型をかろうじて伝えるコンクリートのトンネル、倒れたレンガ造りの建物などなど・・・。
北大東島特有の厳しい自然環境のために風化が進み当初の姿こそ失われつつあるが、その風化の具合と過剰な演出のない素のままの姿が、本物の歴史の迫力を感じさせてくれる。

島の歴史を語るこの貴重な文化遺産を見れば、より詳しく島の歴史を知りたくなるだろう。
 
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トロッコが行き交っていたトンネルも当時の姿を残している
 
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崩れてそのままになっているレンガ造りの建物も
 

大東寿司

南・北大東島に伝わる郷土料理のひとつが大東寿司だ。
醤油ベースのタレにつけ込んだサワラやマグロなどの魚を、甘酢のシャリで握ったシンプルなもの。
島内の商店で売っていたので、昼ご飯に食べてみた。

普通の寿司に比べて甘めのシャリとネタが良くマッチしていて、とても美味しい。
普通の寿司だと同じネタを食べ続けるのは苦しい場合もあるが、この大東寿司は一貫、また一貫とついつい食べ続けたくなる味なのだ。
気がつけば10貫をペロリと完食してしまった。

ちなみにこの大東寿司は、八丈島(東京都八丈町)の郷土料理「島寿司」の流れを汲んでいると言われている。
実は南・北大東島は、明治時代に八丈島出身の玉置半右衛門により開拓された島なので、八丈島出身者も多く移住したのだ。
その名残もあり、神輿を担ぐ八丈島由来の大東宮例祭などの他の沖縄の島々にはない、独特の文化や風習が根付いている。
当時の人々はこの寿司を食べることで、遠い八丈島の地に思いを馳せたのだろうか?
 
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サワラの「ヅケ」を握った大東寿司
 

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